東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)30号 判決 1982年6月01日
東京都町田市本町田二九二三番地
原告
熊沢重治
右訴訟代理人弁護士
佐藤圭吾
同
山根茂
東京都町田市旭町一丁目八番二号
被告
八王子税務署長事務承継者
町田税務署長
西川信夫
右指定代理人
布村重成
同
佐々木正男
同
新井三朗
同
酒井和雄
同
斉藤忠雄
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた判決
一 原告
1 八王子税務署長が昭和五二年三月一一日付けでした原告の昭和四六年分贈与税の決定及び無申告加算税賦課決定(ただし、審査裁決により一部取り消された後のもの。)を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文同旨
第二原告の請求原因
一 原告の昭和四六年分贈与税についての課税経過は次表のとおりである。
<省略>
右表の決定及び無申告加算税賦課決定(ただし、審査裁決により一部取り消された後のもの。)の両決定(以下「本件決定」という。)は八王子税務署長がしたところ、被告は、昭和五四年六月三〇日付け大蔵省令第三三号に基づく大蔵省組織規程の改正により、同年七月一〇日以降本件に係る八王子税務署長の事務を承継した。
二 しかし、本件決定は、贈与を受けていない原告に贈与税を賦課し、国税通則法七〇条所定の期間制限に違反し、更に課税価格を過大に認定したものであり、違法である。
三 よつて、本件決定の取消しを求める。
第三請求原因に対する被告の認否と主張
(認否)
請求原因一は認め、二、三は争う。
(主張)
一 熊沢新之助(以下「亡新之助」という。)は、昭和三二年四月二四日に死亡した。その相続人は、別紙二のとおり、原告、熊沢延夫(以下「延夫」という。)及び熊沢利治(以下「利治」という。)を含めた一三名である。
二 別紙一の「※」印を付した五筆の各土地(以下その所在地により「二六三一番一の土地」等といい、五筆をまとめて「本件土地」という。)は、亡新之助の被相続財産に属していたところ、別紙一の「相続登記受付(昭和)年月日」欄記載の受付をもつて、二六三一番一ないし三の土地については延夫が、二六二八番及び二九二二番一の土地については利治が、それぞれ相続した旨の相続登記がなされた。ところが、延夫及び利治は、昭和四六年六月二三日、錯誤を原因として、右相続登記の抹消登記をし、原告が、同日、本件土地につき相続登記を経由した。
三 延夫及び利治は、右相続登記のとおり本件土地を相続したが、昭和四六年六月二三日、右相続登記を抹消し、原告に相続登記を得させることにより、本件土地を原告に譲渡した。しかし、右譲渡については対価の授受がない。したがつて、原告は、対価を支払わないで本件土地を取得したものであつて、贈与によりこれを取得したものであるから、本件決定に、課税原因たる贈与がないにもかかわらずそれが存在すると誤認した違法はない。
四 そして、原告は、本件贈与に係る昭和四六年分贈与税の申告書を昭和四七年二月一日から同年三月一五日までの法定申告期間(相続税法二八条)に提出すべきところ、正当の理由がないのにこれを提出しなかつた。そこで、八王子税務署長は、右法定申告期限から国税通則法七〇条三項所定の五年以内に本件決定を行つたものであるから、本件決定に期間制限違反の違法はない。
仮に、原告が法定申告期限内に昭和四六年分贈与税の申告書を提出していたとしても、次のとおり、本件決定は適法である。すなわち、原告は、三のとおり延夫と利治から本件土地の贈与を受けたにもかかわらず、贈与税を免れるために、贈与を原因とする所有権移転登記を経由しないで、相続登記を行い、亡新之助から本件土地を相続したように偽つた。このような場合、法定申告期限から五年以内は国税通則法二四条の更正が可能である(同法七〇条二項四号)。本件決定は、同法二五条の決定であつて、更正ではないが、決定も更正も、課税庁がその調査に基づいて納税義務者の課税標準等又は税額等を確定する課税処分であることにおいては本質的に異なるところがないから、更正すべきところを決定したからといつて、そのことの故に直ちに違法となるものではない。したがつて、同法七〇条二項の期間内に行われた本件決定に期間制限違反の違法はない。
五 本件土地の贈与があつた時における同土地の価額を国税庁長官が定めた「相続税財産評価に関する基本通達」(昭和三九年四月二五日付け直資五六。以下「財産評価通達」という。)の定めにより評価すると、次のとおりである。
1 まず、二六二八番及び二六三一番一ないし三の土地は、財産評価通達にいう「市街地周辺農地」(評一〇四〇)に該当する。ところで、「市街地周辺農地」の評価は、その農地が宅地であるとした場合の単位地積当たりの価額から、その農地を宅地に転用する場合において通常必要と認められる単位地積当たりの造成費に相当する金額として国税局長の定める金額を控除した金額に、その農地の地積を乗じて計算した金額の一〇〇分の八〇に相当する金額によつて評価することとされている(評一〇四四及び一〇四五)。そして、「その農地が宅地であるとした場合の単位地積当たりの価額」は、その付近にある宅地を財産評価通達により評価した単位地積当たりの価額を基準として評価するものとされ(評一〇四五の注書き)、本件贈与がなされた昭和四六年当時、二六二八番及び二六三一番一ないし三の土地付近にある宅地の評価については、その宅地の固定資産税評価額に国税局長が定める倍率を乗じて計算するいわゆる倍率方式によつて評価することとされており(評一〇一二、一〇一三及び財産評価通達に基づき東京国税局長が定めた「昭和四六年分相続税財産評価基準」の評価倍率表)、その倍率は、同倍率表によれば三・三倍とされていた。そして、二六二八番及び二六三一番一ないし三の土地付近の宅地の一平方メートル当たりの固定資産評価額は四〇〇〇円であるから、これに三・三を乗じた一万三二〇〇円が右土地を宅地であるとした場合の単位地積当たりの価額である。
次に、「市街地周辺農地」たる二六二八番及び二六三一番一ないし三の土地を「宅地に転用する場合において通常必要と認められる造成費に相当する金額」について算出する。右評価基準によれば、これについては、土盛りを必要とする場合、土止めを必要とする場合及び整地を必要とする場合に区分され、それぞれについてその費用の算出方法が定められているところ、畑においては、通常、地ならしのみの整地でもつて宅地に転用することができ、本件の場合、特段の状況もないので、地ならしのみの整地を必要とする場合に該当すると認められる。その金額は三・三平方メートル(一坪)当たり五〇円と定められているので、宅地造成費として控除すべき一平方メートル当たりの金額は一五・一六円となる。
そうすると、二六二八番の土地(地積七六三平方メートル)の価額は、次のとおり八〇四万八〇二五円となる。
<省略>
同様にして、二六三一番一の土地(地積七一〇平方メートル)の価額は七四八万八九八八円、二六三一番二及び同番三の土地(地積合計六・六平方メートル)の価額は六万九六一五円となる。
2 次に、二九二二番一の土地は宅地であり、その評価は固定資産税評価額に国税局長が定める倍率を乗じて計算するとされており(財産評価通達評一〇一二、一〇一三、一〇二二及び前記評価基準の評価倍率表)、その倍率は、同倍率表によれば、三・三倍とされていた。したがつて、右土地の価額は、固定資産税評価額一一三万三二〇〇円に三・三を乗じた三七三万九五六〇円となる。
3 そうすると、本件土地の価額は右1、2を合算した一九三四万六一八八円となり、その範囲内の一九二九万四四四〇円を課税価格とする本件決定に課税価格過大認定の違法はない。
第四被告の主張に対する原告の認否と反論
(認否)
被告の主張一及び二の事実は認める。また、同五のうち、二六二八番及び二六三一番一の土地が財産評価通達にいう「市街地周辺農地」に該当し、これについては、それが宅地であるとした場合の単位地積当たりの価額から、農地を宅地転用する場合に通常必要と認められる単位地積当たりの造成費に相当する金額として国税局長の定める金額を控除した金額に、その農地の地積を乗じた金額の一〇〇分の八〇として評価すべきことは認める。その余の被告の主張は争う。
(反論)
一 原告は、次のとおり本件土地を相続により亡新之助から取得したものであり、延夫と利治からこれを贈与されたものではない。
1 亡新之助は、町田市において、広範囲にわたり山林や田畑を所有していた。亡新之助が死亡した昭和三二年当時、町田市の旧家では、長男が遺産全部を相続するという家督相続的な慣行があつた。熊沢家は、町田市の旧家で、原告は、亡新之助の長男であり、昭和三五年には町田市議会議長の要職にあつた。このような町田市周辺の当時の相続慣行、熊沢家の家柄及び長男たる原告の社会的地位からして、原告が亡新之助の遺産全部を相続することについてそれ程の難色を示す相続人はいなかつた。このような中で、原告は、亡新之助の遺産を全部を相続し、本件土地については原告の宅地の一部、畑等として占有してきたのである。
2 原告は、右遺産について相続登記をせずに放置していたところ、昭和三五年ころ、本件土地付近の宅地開発が盛んになり、本件土地周辺の土地を株式会社三陽不動産部(以下「三陽不動産」という。)に売却することになつた。ところが、売却土地の筆数が多く分筆合筆の必要もあり、原告が登記手続に不慣れなこともあつたので、原告は、相続登記等の手続を三陽不動産の社員の内藤某に一任した。その際、原告は、右の内藤某から、不動産譲渡税を低くおさえ手続も簡単になるので、相続財産のうち三陽不動産に売却予定のものについては数名の相続人らが相続し、非売却地については原告が相続した旨の遺産分割協議書を作成し、その旨の相続登記をした上で売買による所有権移転登記手続をするとよい、と勧められた。そこで、原告は、右の勧めに従うことになり、延夫、利治らに協力を求めて遺産分割協議書を作成した。
3 ところが、売却地が広範囲にわたり、地番と現地を明確に特定できなかつたこと等から、非売却地として原告名義に相続登記されるはずであつた本件土地につき、誤つて売却予定地として延夫と利治がこれを相続する旨の遺産分割協議書が作成され、右両名名義に相続登記が行われてしまつたのである。
4 原告は、右の誤りを昭和四六年に発見したので、真正な権利者たる自己に相続登記をするため、延夫及び利治にその相続登記の抹消を求めた上、自己名義の相続登記を経由したものである。延夫も利治も、誤つて登記名義人となつていたにすぎなかつたから、右抹消に何らの異議を挾むことなく協力した。
二 原告は、昭和四七年三月一三日八王子税務署長に対し、熊沢正雄から現金三〇万円の贈与を受けた旨の昭和四六年分贈与税の申告書を提出した。
したがつて、三年の更正期間経過後に、無申告であるとして原告に本件決定をすることは許されない。
また、右一から明らかなとおり、原告は、贈与税を不正に免れるために、贈与を相続と偽つて相続登記を経由したものではないから、国税通則法七〇条二項四号を適用して法定申告期限から三年経過後にも課税処分を行うことができる、との被告の主張は失当である。
三 本件土地の価額についての被告の評価は、次の点で恣意的であつて公平さに欠ける。
1 二六三一番一の土地が宅地であるとした場合の価額の評価上基準となる適正宅地とは、地積が二〇〇平方メートルで、地形が四角形の宅地をいう。したがつて、右土地を評価するには、不整形地補正、奥行補正、面積補正等の補正をすべきである。
また、宅地造成費は、「宅地造成費標準価額表」と「傾斜度の度数別による宅地造成費の概算控除金額」のいずれか納税者に有利な方を適用できると解されている。そして、二六三一番一の土地は傾斜地であるから、右のようにして求めた価額の一〇〇分の三に相当する概算経費を控除すべきである。
2 二六二八番の土地についても右1と同様の補正をすべきである。更に、右土地は約一〇度の傾斜地であるから宅地造成費の概算経費として同じく一〇〇分の一五に相当する金額を控除すべきである。
3 また、二六三一番二及び三の土地は、私道ではなく公衆用道路であるから、課税対象とするのは相当でない。
4 更に、二九二二番一の土地については、そのうち四五・六九平方メートルが公衆用道路であるからこれを課税対象外とし、残余の部分については1と同様の補正をすべきである。
第五証拠関係
一 原告
1 甲第一ないし第五号証
2 証人熊沢延夫、同熊沢利治、同熊沢正雄及び同熊沢政一の各証言並びに原告本人尋問の結果
3 乙第五〇号証の原本の存在と成立及び乙第五一号証の成立は不知。その余の乙号各証の成立(乙第五三、第五四号証、第五六ないし第六九号証及び第七五号証の二ないし四は原本の存在と成立)はいずれも認める。
二 被告
1 乙第一ないし第七四号証、第七五号証の一ないし四、第七六号証及び第七七号証の一、二
2 証人梅田高樹及び同松岡嗣男の各証言
3 甲第四号証の原本の存在と成立は否認し、その余の甲号各証の成立(甲第五号証は原本の存在と成立)はいずれも認める。
理由
一 請求原因一の課税経過等に関する事実は当事者間に争いがない。
二 まず、本件土地の贈与の有無を検討する。
1 亡新之助が昭和三二年四月二四日に死亡し、その相続人は別紙二のとおり原告延夫及び利治を含めた一三名であること、本件土地は亡新之助の被相続財産に属していたところ、別紙一の「相続登記受付(昭和)年月日」欄記載の受付をもつて、二六三一番一ないし三の土地については延夫が、二六二八番及び二九二二番一の土地については利治が、それぞれ相続した旨の相続登記がなされたこと、延夫及び利治が昭和四六年六月二三日錯誤を原因として右相続登記の抹消登記をし、原告が同日本件土地につき相続登記を経由したことは、当事者間に争いがない。
2 別紙一の「乙号証番号」欄の乙号各証(乙第五六号証は原本の存在と成立に争いがなく、その余の各証はすべて成立に争いがない。)と弁論の全趣旨によれば、本件土地を含む別紙一の「相続財産」欄の土地はすべて亡新之助の被相続財産に属すること、これについて別紙一の「相続人氏名」及び「相続登記受付(昭和)年月日」欄の相続登記が経由されていること、右土地の相続登記後の移動は別紙一の「その後の移動状況」欄のとおりであることが認められる。そして、成立に争いのない甲第二、第三号証及び乙第四九号証、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第五一号証並びに原告本人尋問の結果によると、右相続登記のうち昭和三五年一月二〇日及び同年二月九日受付のものが経由された経緯について、次のように認めることができる。すなわち、亡新之助の死亡後、相続人間で遺産分割の協議がなされず、相続登記も経由されていなかつたが、昭和三四年秋ころ右土地の一部を三陽不動産に売却する話が具体化し、相続登記が必要となり、そのため遺産分割協議書が作成され、これに基づき別紙一のとおり昭和三五年一月二〇日及び同年二月九日受付の相続登記が経由された(延夫及び利治の本件土地についての相続登記もその一環である。)
3 また、原本の存在と成立に争いのない乙第六一ないし第六六号証及び乙第六八、第六九号証によれば、亡新之助は生前の昭和二二年に次の相続人に対し次の土地(いずれも山林で、括弧内の数字は地積・平方メートルである。)を贈与したことが認められる。
(一) 熊沢政一に対し、
町田市本町田二六三八番(一六五二)
同所 二六三九番(三五〇)
同所 二八九二番ロ(三四〇)
町田市山崎町二一七一番(三八〇一)
(二) 熊沢文平に対し、
町田市本町田二九六二番一(二七七)
同所 三四五六番ニ(一四六七)
(三) 熊沢善次に対し、
町田市山崎町二一七七番(一四八七)
同所 二一七九番(六九四)
そして、2の相続登記に係る土地の地積と生前贈与に係る右土地の地積とを、各相続人ごとにまとめると次表のとおりになる。
<省略>
これによると、生前贈与及び相続登記に係る土地全体の配分状況について、次のようにいうことができる。まず、全体としては男子に厚く、女子に薄い。次に、男子についてみると、生前贈与を受けた者は相続登記分が少なく、合計地積では農業を営む熊沢政一及び熊沢文平(このことは、原告本人尋問の結果により認められる。)に多くなつている。また、婿養子の熊沢善次と遠隔地の名古屋に定住する見込みのあつた延夫(このことは、証人熊沢延夫の証言により認められる。)は少ない。一方、女子についてみると、他家に嫁いだ細谷喜代と立川アキは少なく、婿養子を迎えて分家した熊沢竹子は多い。他家に入夫婚姻しサラリーマンであつた秋山嘉一(このことは、原告本人尋問の結果により認められる。)並びに代襲相続人の田所富佐子、重田順子及び木下亮司には配分がない。したがつて、別紙一の相続登記及びその前提となつた遺産分割協議書による土地の分配は、共同相続が生じた場合において通常考慮されるであろう事柄を一応考慮したものということができる。
4 更に、成立に争いのない乙第五二、第五五号証、原本の存在と成立に争いのない乙第五三、第五四号証及び証人熊沢利治の証言(一部)によれば、次の事実が認められる。すなわち、利治は、同人名義に相続登記された二六二八番及び二九二二番一の土地等の昭和四四、四五年分の固定資産税を自ら支払つた。また、利治は、昭和四六年一月ころ、神奈川菱油株式会社から給油所設備を借り受けてガソリンスタンドを開業することを計画し、同社に差し入れるべき保証金五〇〇万円の調達方を長兄の原告に相談したところ、原告が共同経営者になる条件で右資金を調達することになり、右両名で有限会社熊沢石油を設立し、両名が代表取締役となり、同年六月八日前記会社と給油所賃貸借契約を締結してガソリンスタンドを開業した。しかし、利治は、家族の希望もあり、有限会社熊沢石油の経営権を一手に掌握したいと考え、原告に相談した結果、利治名義になつていた二六二八番と二九二二番一の土地を原告名義にするのと引き換えに、原告が有限会社熊沢石油の代表取締役を辞任することとなり、利治は同月二三日相続登記の抹消登記を行い、これに伴い原告は同社の経営から身をひいた。
5 以上1ないし4の認定事実を総合すれば、延夫及び利治名義の相続登記を含む別紙一の相続登記及びその前提となつた遺産分割協議書は、真実の相続関係を表示しているものと認めるのが相当である。したがつて、本件土地は、延夫及び利治が相続登記のとおり相続したものと認むべきである。
6 原告は、原告が亡新之助の遺産を全部一人で相続したものであり、遺産の一部の土地を三陽不動産に売却するに当たり、譲渡税の負担軽減等を図る趣旨から、三陽不動産に売却する土地は数名の相続人名義で相続登記し、その余の土地は原告名義で相続登記することとなり、その手続を三陽不動産に一任したところ、本件土地は売却分でないにもかかわらず誤つて延夫及び利治名義に相続登記がなされてしまつたと主張する。
(一) 原告において、亡新之助の遺産たる別紙一の土地を自家用の宅地又は農地として生活の根拠とし、将来もこれを手放すことが困難であるという事情にあれば、原告が単独相続するということも考えられないではない。しかし、相続人間で遺産分割協議書が作成されたのは、右土地の一部を三陽不動産に売却する話が具体化し、三陽不動産に移転登記する前提として相続登記が必要となつたためであつた。そして、前掲乙第五一号証によると、三陽不動産では右土地の一部について昭和三四年一一月ころから広告を出し分譲販売を開始していたことが認められるから、右の事情は各相続人において認識していたと推認されるところ、三陽不動産に売却する分まで含めて原告が単独相続することにつき、他の相続人が同意し、遺産分割協議書に異議なく署名したと考えることは極めて不自然である。特に、延夫、利治らは、原告の単独相続ということになると、生前贈与も遺産相続もないこととなり、それにもかかわらず原告が遺産売却により多額の現金を入手することに協力したことになるのである。
(二) 別紙一のとおり、三陽不動産に売却された土地は、各筆ごとに一人の相続人名義で相続登記がなされているが、税負担の軽減を図るというのであれば、相続人全員の共有財産の形をとつた方がより効果的であるにもかかわらず、なぜ一人の相続人に分割したか疑問である。
(三) 本件土地の延夫及び利治の相続登記が錯誤に基づくことの合理的理由について十分な主張立証がなく、特に、二九二二番一の土地は、前掲乙第四九号証によると三陽不動産に売却した土地から明確に分離しており、三陽不動産への売却土地と間違われたとするのは不自然である。
したがつて、原告の右主張は採用できず、証人熊沢正雄、同熊沢延夫、同熊沢利治及び同熊沢政一の各証言並びに原告本人の供述のうち右主張に添う部分は措信できない。そして、5の認定を覆すに足りる証拠は他に存しない。
7 そうだとすれば、本件土地につき、昭和四六年六月二三日、延夫及び利治が各自の相続登記の抹消登記を行い、原告が相続登記を行つたことにより、延夫及び利治はその相続した本件土地を原告に譲渡したものというべきである。そして、原告が右譲渡の対価を支払つた旨の主張立証はないから、原告は対価を支払わないで本件土地を取得したものと認めることができる。したがつて、本件土地の取得は贈与による取得とみなされるから、これを贈与税の課税対象とした本件決定に、課税原因のないところに課税を行つたという違法はない。
三 次に、本件決定が国税通則法七〇条所定の期間制限に違反するか否かを検討する。
1 原告の昭和四六年分贈与税の法定申告期間は昭和四七年二月一日から三月一五日までである(相続税法二八条)ところ、本件決定は、右法定申告期限から五年以内の昭和五二年三月一一日付けで行われているから、国税通則法七〇条三項及び四項二号の規定に適合し、適法である。
2 これに対し、原告は、熊沢正雄から現金三〇万円の贈与を受けたとする昭和四六年分贈与税の申告書を昭和四七年三月一三日八王子税務署に提出しているから、国税通則法七〇条一項所定の三年の更正期間経過後に、右贈与税が無申告であるとして行つた本件決定は違法であると主張する。
しかし、成立に争いのない乙第二号証並びに証人梅田高樹及び同松岡嗣男の各証言によれば、八王子税務署には原告の右申告書は保管されておらず、また、八王子税務署では当時受贈者の居住地の市別かつ五十音順に区分した贈与税事務整理簿を備え付け、贈与税申告書の提出があつた場合には必ず右整理簿にその申告年月日、課税価格、税額等を記載していたが、この整理簿に、原告の右申告書が提出されたことをうかがわせる記載が全くないことが認められる。
原告は、右申告書の控えの写しであるとして、甲第四号証を提出しているところ、甲第四号証には、確かに、「八王子税務署47・3・13文書収受」なる印影が写されている。しかし、成立に争いのない乙第一号証、証人梅田高樹及び同松岡嗣男の各証言と弁論の全趣旨によれば、昭和四六年分当時の八王子税務署における贈与税の申告書の受付事務の処理は、次のとおりであつたことが認められる。すなわち、一枚の申告書用紙には、上から「申告書」、「速算表」及び「申告受付書」の三欄が印刷され、「速算表」と「申告受付書」の間には切取線が印刷されているところ、申告書を受けた場合は、「申告書」の左肩部分、「申告受付書」の受付印部分及び切取線部分の三か所に文書収受印を押印し、「申告受付書」を切り取り、申告者に対し、<1>「申告受付書」だけを交付するか、<2>「申告受付書」の交付とともに「申告書」及び「速算表」部分の写しを交付するか、<3>申告書を提出した者が申告書とともに余部の申告書を持参してきたときは、余部の申告書に「控」の表示をした上でその左肩辺に文書収受印を押印し、「申告受付書」とともに右控えを交付していたことが認められる。そして、証人熊沢正雄及び同松岡嗣男の各証言によると、甲第四号証は、原告代理人の熊沢正雄税理士が本件審査請求の段階で国税不服審判所に対し、申告書の控えの写しとして提出したものを更に写したものであることが認められ、申告書自体の写しとは認められない。また、甲第四号証には原告の印影が写されておらず、この点からも甲第四号証が申告書自体の写しとは認められない。そこで、甲第四号証が申告書控えの写しであるか否かを検討するに、甲第四号証には、「控」の表示はなく、申告書用紙の下部に印刷されている「速算表」と「申告受付書」が写つていない。更に、証人松岡嗣男の証言によると、熊沢正雄税理士が甲第四号証の原本を国税不服審判所にいつたん提示して持ち帰つたため、国税不服審判所が同税理士に対し鑑定のため右原本の提出を求めたところ、同税理士は右原本は事務員がその後誤つて焼却してしまい存在しないと答えたことが認められる。そして、証人熊沢正雄及び同熊沢延夫は、右原本は同税理士が留守中に事務員が焼却してしまつた旨証言するが、重要証拠書類たる右原本を同税理士の留守中に焼却してしまうということは極めて不自然で、右各証言はたやすく措信できない。したがつて、甲第四号証をもつて、申告書の控えの写しとも認めることはできない。
以上の事実に、原告から前記「申告受付書」の提出がないこと、また、成立に争いのない乙第四七、第四八号証並びに証人梅田高樹及び同松岡嗣男の各証言により、原告が本件異議申立ての段階では申告の事実を主張していなかつたことが認められること、原告の主張は、基礎控除額四〇万円を下回る三〇万円の現金の贈与を申告したというもので、本来申告を要しないものであるにもかかわらず、なぜこのような申告をなしたかについて合理的理由の主張立証がないことを考え併せると、原告は昭和四六年分贈与税の申告書を提出していないものと認めるのが相当である。
証人熊沢正雄及び同熊沢延夫の各証言並びに原告本人尋問のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
したがつて、原告の主張は採用できない。
四 次に、本件贈与税の課税価格を検討する。
1 本件土地の価額は、成立に争いのない乙第四一、第七〇、第七一号証及び弁論の全趣旨により、被告主張五のとおり合計一九三四万六一八八円と認められる(二六二八番及び二六三一番一の土地が「市街地周辺農地」に該当し、その評価方法の大要が被告主張どおりであることは当事者間に争いがない。)
2 原告は、二六二八番及び二六三一番一の土地が宅地であるとした場合の価額評価及び二九二二番一の土地(一部)の価額評価に際しては、不整形地補正等の補正をすべきである、と主張する。しかし、右1認定のとおり、本件土地付近の宅地(二九二二番一の宅地を含む)の評価については、いわゆる倍率方式により評価することとされており、いわゆる路線価方式により評価するわけではないから、右の補正を考慮する必要はないのである。
原告は、二六二八番及び二六三一番一の土地の評価に際して控除すべき宅地造成費は、「宅地造成費標準価額表」又は「傾斜度の度数別による宅地造成費の概算控除金額」のいずれか納税者に有利な方を適用できる、と主張する。しかし、東京国税局長が昭和四六年分の相続税及び贈与税における財産評価につき、原告がいう「傾斜度の度数別による宅地造成費の概算控除金額」なるものを定めた事実は認められない。
原告は、二六三一番二及び三の土地並びに二九二二番一の土地の一部四五・六九平方メートルが公衆用道路である、と主張する。しかし、前掲乙第二六、第二七号証によれば、二六三一番二及び三の土地は、昭和四六年六月に原告がこれを取得した当時は畑であり、翌昭和四七年六月三〇日に公衆用道路に地目変更されたことが認められる。また、前掲乙第二九号証によれば、二九二二番一の土地は、その全部が宅地であることが認められ、原告主張のようにその一部が公衆用道路であることを認めるに足りる証拠はない。
以上のとおりであるから、本件土地の価額の評価が恣意的で、公平さに欠けるとの原告の主張は採用できない。
3、したがつて、本件土地の価額は一九三四万六一八八円であり、その範囲内の一九二九万四四四〇円を課税価格とする本件決定に課税価格過大認定の違法はない。
五、以上のとおり、本件決定に原告主張の違法はない。
よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 泉徳治 裁判官 大藤敏 裁判官岡光民雄は転官につき署名捺印できない。裁判長裁判官 泉徳治)
別紙一 No.1
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別紙二
相続人目録
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(注)「亡」は、新之助の死亡前に死亡していることを意味する。